2022年12月10日(土)11時40分、47歳主婦が延髄(えんずい)の脳梗塞を発症しました。
脳梗塞と言ってもいろんな部位での発症だったり、症状も人によって違います。
わたしはスーパーのレジをしている普通の主婦です。
専門的なことは分かりませんが、わたしの症状をお伝えすることで、どなたかのお役に立てたらと思い記録することにしました。
この記事では発症してからリハビリ病院へ転院するまでの19日間を記録しています。
脳梗塞発症時の症状と行動記録
2022年12月10日(土)その日は、あるコミュニティの忘年会に参加していました。
受付を任せてもらったので、10時過ぎには会場入り。
無事受付を済ませ、忘年会が始まったのが11時30分でした。
乾杯が終わって11時40分、左目の上のあたりに今まで感じたことのない痛みがおきました。
もともと頭痛持ちだったのですが、比べ物にならないほどの痛みでした。
少しすると、ふらついてきて立っていることもできなくなりました。
会場の外のソファで休んでみたけれど、よくなる兆しはありません。
いつもと違うと気づいたので、すぐ夫に 連絡し迎えを待ちました。
歩いてみるとまっすぐ歩けない。
左に寄っていく感じがありました。
夫の到着を待って救急車を呼んでもらいましたが、その頃にはめまい・ふらつきがひどくなっていました。
救急車から病室まで
救急車が到着し、自力では担架に乗れなかったので職員さんに乗せてもらいました。
救急車の中では、名前と生年月日を確認されたり、手や足が動くか?確認したり、血圧を測ったりしていました。
意識はあるけれど、めまいがひどくて救急車の景色は覚えていません。
救急病院に到着すると、そこで夫とは別々に・・・。
CTやMRIなど、いろんな検査や処置が行われました。
吐き気もあり、一度だけ(少量)もどしました。
意識はあるのですが、眼振がひどく先生や看護師さんの顔が全く見えませんでした。
検査の結果、先生に「過去に脳梗塞が発症した跡があります。」と言われたのを覚えています。
その日の検査では原因がわからず、そのまま病室に運ばれ、入院になりました。
救急病院で診察中に考えていたこと
救急病院で診察を受けながら、いろんな事を考えていました。
- 終活しておけばよかった
- お金のこと、夫にわかるようにしておけばよかった
- 明日仕事なのに・・
- みんなに迷惑かけるなぁ・・
- 忘年会盛り上がってるといいなぁ・・
- このまま死んじゃうのかなぁ・・
- ん?もう父ちゃんや子供達と会えないかもなぁ・・
- 子供達も大きくなったし、シアワセな人生だったなぁ・・
シアワセだったと証明するために、MRIなどの検査に入るときは口角をあげて入っていました。
笑顔で人生を終わりたかったから・・。
今、思うと笑えちゃいますけど、その時は一生懸命・本気で思って行動していました。
救急病院での19日間
2022年12月10日(土)入院当日
めまいがひどく病室のベッドに運ばれてからの記憶がありません。
生きているんだとか入院してるんだとかは理解できていました。
原因もわかっておらず、点滴の治療が行われていました。
この日の症状
- 左足が思うように動かせない
- 左手が痺れている
- めまい
- 眼振
- 時々吐き気
食事も普通に出てきたのですが、食欲はないのに、ベッドで寝ているわきに食事を置かれ、寝ながら食べるのか?と思い一口食べましたが、むせました。
紙オムツをはいていたんですが、いくら頑張ってもオムツの中では出せませんでした。
トイレの度に看護師さんを呼んで[管]を入れてもらいました。
2022年12月11日(日)/2日目
日曜だからか検査などはなく、ずっとベッドにいました。
ずーっと寝ているからか、いろんなこと考えているからか、夜あまり眠れませんでした。
めまいや眼振は続いていて、相変わらず先生や看護師さんの顔が見えない。
でも、症状は和らぎ、ご飯を少し食べる事ができました。
車椅子でトイレも行けるようになり、[管]卒業できました。
2022年12月12日(月)/3日目
夜、よく眠れました。
めまいも眼振も減ってきてずいぶん楽になったけど、焦点が合わない。
モノが二重に見えていました。複視(ふくし)と言うそうです。
左半身の麻痺??と気付き、「顔どうなっているんだろ?」と鏡で見ました。
鏡に映った自分の左目は半分くらいしか開いていませんでした。
顔が変わってしまったことにショックを受けました
通常のMRIと造影剤を入れたMRIで2回検査。
「延髄(えんずい)の脳梗塞」と病名がつきました。
この日から血液サラサラ(エフィエント)の薬を飲み始めました。
2022年12月13日(火)/4日目
めまいはほとんどなくなりました。
ただ、焦点が合わずまだモノが2重に見えます。
今日は脊髄のMRIを撮りました。子宮筋腫が見つかりましたが、これは前からわかっていて様子見の途中でした。
この日からリハビリが開始。
最初は握力を測ったり、指の動きを見たり、飲み込み具合を見たりしていました。
リハビリ師さんに麻痺の具合は6段階中1(軽度)と言われました。
「立ってみましょう」と言われた時に「立つ??どうやって??」って思ったことが忘れられません。
左足が思うように動かせず、立つためにどう足を動かしたらいいのか、わかりませんでした。
その日のうちにふらつきはあるけど、立てるようになりました。
勝手に自分の中で「立てない」と思い込んでいたんですね。
2022年12月14日(水)/5日目
原因もわかったため、検査はなく投薬とリハビリメインの治療に変わってきました。
リハビリは20分1単位で、一日2単位行われました。
立つ練習や歩く練習がメイン。
今日は歩行器を使わせてもらったら歩きやすい。
まだ見守りは必要ですが、車椅子トイレから歩行器トイレに昇格しました♪
ちょっと遅くなったんだけど職場に電話で症状を伝えました。
職場に脳梗塞を経験している同僚もいて、その同僚とも話しました。
電話、たらい回しでしたが、みんなが喜んでくれてよかったです。
2022年12月15日(木)/6日目
今日は家族全員と久しぶりに再会できました。
もちろん面会は禁止で、わたしの症状の説明を聞くためです。
まだ、モノは二重に見えるし、歩行器を使って歩いている状態。
先生に「退院しても日常生活が一人でできるかはわかりません」と伝えられ、ショックを受けたのを覚えています。
リハビリ病院への転院を勧められたので、その場で転院希望を出しました。
この日やったこと
- (温かい飲み物が飲みたくて)自販機までリハビリ時に歩行器を使って買いに行った
- 頭を洗いたくて、看護師さんにシャンプーしてもらった
- 娘がたい焼きとコーヒーを買ってきてくれて食べた
2022年12月16日(金)/7日目
今日のリハビリは、歩行器を使ってたくさん歩いたり、10センチほど高さのある台に片足づつ乗せる練習をしました。
左足を上げようとするとコントロールがうまくできず、ビヨンと上がりすぎてしまいます。
左足が、自分の足じゃない・軽い感覚でした。
シャワーの許可も出たので、一人でふらつきながら入りました。服の脱ぎ着で左足で立つ時にふらつきます。
この頃からカラダの右側がカーっと熱くなる感覚を覚え始めます。
2022年12月17日(土)/8日目
土日はリハビリがお休みなので、歩行器で合計20分ほど歩きました。
モノが二重に見えていたのが、少し良くなった気がします。
複視、治るのかも!と、とても嬉しかったのを覚えています。
カラダの右側がカーッと熱くなる感覚、温度センサーに異常が出ている様です。
熱いコーヒーカップを左手で触ると熱いんだけど、右手で触るとザワザワーっと気持ち悪い感覚。(言語化が難しいです。)
しばらく触っていると熱いと感じます。
熱いものを触るときはまずは左手から!と学びました。
2022年12月18日(日)/9日目
今日もリハビリは無し。
歩行器で合計10分ほど歩きました。
シャワーも浴びたんだけど、前回より安定して入れるようになりました。
脳って失った感覚を、体験しながら新しく覚えていくスンバラしい装置だなぁと感じました。
2022年12月19日(月)/10日目
今日の新潟は大雪でした。
病院から国道が見えるのですが、渋滞する様子が見えました。
今日のリハビリは歩行器なしで歩く練習でした。
自分がアシモ(ロボット)みたいな動きをしていて、笑ってしまいました。
2022年12月20日(火)/11日目
今日は歩行器を使って売店まで一人で行ける許可(平日は夕方・土日は終日)が出ました。
この病院の売店はセブンイレブンなので、テンションが上がります。
点滴が完全に終わりました。
自由を手に入れました。
2022年12月21日(水)/12日目
この日は朝陽がとっても綺麗でした。
Twitterのこの文。
明日の事なんか、誰にもわからないから、今日、今を一生懸命生きることにしました。
病気をしてから強く思うことです。
2022年12月22日(木)/13日目
ふらつきはあるけれど、一人で歩けるようになりました。
一人で歩く姿を見た看護師さんに「よかったね、退院できますね」と言われて、戸惑いました。
戸惑ったのは転院するつもりだったから・・。
病院側は一人で歩けるようになったら「退院」という考えみたいでした。
居場所がない?と感じたのはこの頃です。
2022年12月23日(金)/14日目
退院か転院か・・・。
モヤモヤした時間を過ごしていました。
一人で歩けるようになったけど、復職のためのリハビリをしたい。
私の場合、スーパーのレジだから、お米やビールの箱など重たいものを持つこともあるだろう。
そういう練習もしたい!もっと安定して歩けるようになりたい!
午後、看護師さんに「29日にリハビリ病院への転院が決まりました」と連絡いただいた時は心底ホッとしました。
2022年12月24日(土)・25日(日)/15・16日目
世間はクリスマス。
土日だからリハビリもないので自主トレをしました。
日常の動作も一人でできるようになったので、のんびり過ごしていました。
家族に会いたいな・・
美味しいもの食べたいな・・
強く感じていました。
2022年12月26日(月)〜28日(水)/17~19日目
リハビリでは体幹を鍛える動作や、車の免許をとるための高次脳機能の検査の練習をしました。
脳梗塞になると車の運転ができなくなるなんて知らなかったから、聞いた時はショックでした。
モノが二重に見えていた時は運転は難しいと言われてきたけれど、今はスッキリ見えるし、復職にも必要なので乗れるようになりたい!
明日、いよいよリハビリ病院への転院です。
残っている後遺症
2023年3月現在、残っている後遺症はこの6つ。
- 右半身の温度センサーの異常
- 喉に違和感
- 左目が3分の1開きにくくなった
- 左足を軸にした時のバランスが悪い(少しだけ)
- 肩周りが重たい(PCやゲームのやりすぎかも・・)
- 腕を長時間上にあげていると辛い(ドライヤー時など)
これくらいで、済んだので私の脳梗塞は軽かったんだなと感じます。
車に乗るための高次脳機能の検査もA評価(一番いい)で合格し、2023年2月9日、運転できるようになりました。
嬉しかったー
伝えたいこと
47歳で脳梗塞を発症した時は「まさか自分が!!」と思わずにはいられませんでした。
幸い、後遺症も軽くすみ、2023年3月18日復職が決まりました。
この記事をここまで読んでくださった方に一番伝えたいこと
当たり前に感謝して、1日1日を精一杯生きてほしい
家族と過ごせること、朝目覚めること、美味しいものを食べること、好きな場所に行けること・・・どれも、当たり前になりがちです。
でも、当たり前じゃない現実に向き合いました。
怖かった・・
最初はもう家族に会えないんじゃないか?
明日は目が覚めないんじゃないかって怖かったです。
退院して家族と過ごせる時間が訪れ、今までにないシアワセも感じています。
当たり前に感謝し、日々を精一杯生きる
これが私の今後の課題だなと思いました。
それに気づかせてもらえた「脳梗塞」に、実は感謝もしています。
病気にならなければ気づかなかったこと、出会わなかった人、知らなかったことなどたくさんありました。
その経験も活かしながらこれからの人生を楽しみます。
自分のカラダは代えのきかない一台の乗り物です。
自分でメンテナンスして大切にしてあげてくださいね。
ダラダラと長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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